狭い座席に無理矢理身体を押し込んで、桜木花道は手の中でボールを遊ばせている。新幹線に乗るというのは彼にとって滅多にない貴重な体験だったが、その感覚も大宮を過ぎ、宇都宮を過ぎた辺りで薄れてしまった。乗車からおよそ二時間。仙台を過ぎた今となっては、窓から見える薄曇りの空も稲刈りを終えた田んぼの風景もただただ流れてゆくのを見送るばかりで、手の中にあるボールの凹凸の感触だけが鮮明だ。
入院中の退屈しのぎに親友が譲ってくれたカセットウォークマンのイヤホンからは、親友の父親が寄越してくれた古い洋楽が流れている。ゆったりとしたテンポと、ムードのある甘く低い歌声が眠気を誘う。
〝イズユアハートフィルドウィズペイン・シャルアイカムバックアゲイン?〟
堪える気のない口から大あくびが漏れる。唇を閉じたタイミングで、ギターとコーラスを背景にボーカルが台詞を語り始めた。彼の情緒溢れる語り口は、乗客たちの姿をどこか気だるげに、薄い紗を通すように輪郭を曖昧にして映す。行楽に出かけているらしい家族の団欒、隣り合い手を繋いだカップル、弁当をつつく若いグループ。語る言葉に耳を傾け何とはなしに眺めていると、彼は母親の手に抱かれた小さな女の子がこちらを見ていることに気が付いた。
淡いラベンダー色のショールに母親と共にくるまっている少女の意志の強そうな大きな瞳が、桜木の手の中のボールをじっと見つめている。彼はちょっと考え、手にしたボールを立てた右人差し指の上で回してみせた。少女の目が更に大きくなり輝く。彼女は腕の中で窮屈だというように身じろぎをして母親を困らせた。こちらに向けて開いた手のひらはピンク色の紅葉のよう。桜木はボールを回すのを止め、ジーンズの腿の上にそれを置いた。少女は母親に背を撫でるように叩かれてようやく落ち着いたのか、まろい頬を首筋に寄せて両手を回した。桜木は耳元の音楽に意識を戻し、目を瞑ることにした。
〝テルミーディア・アーユーロンサムトゥナイト〟
〝教えて、親愛なるひと。あなたは心細いですか? 今夜〟
