Fly girl, in the sky 第八話 - 1/3

Knockout Girl

 昨日の試合の興奮も冷めやらぬ日曜日の朝。湘北高校バスケットボール部の面々は、神奈川県屈指の強豪校である海南大附属高校の練習試合の見学に向かっていた。
 日曜日であるが、団地方面へ向かう早朝のバスの車内は乗客の姿も少なくまったりとしている。車窓から流れて見える景色もやはりのどかで、信号の向こうに見える通行人の顔も優しげに見えた。もうすぐゴールデンウィーク。海岸や海浜公園に近いこの辺りはきっと、その頃観光客で賑わうことだろう。彼らは昨日の試合で疲れた足腰を更に酷使しながら、最寄り駅である浜見山へと向かった。
 海南大附属高校は大学と敷地を同じくしていることもあってとにかく広い。勿論私立の学校らしく、設備面も充実している。高校と大学それぞれにある体育館はトレーニングルームや体操場を有しており、力の入れようが伺える。その他、独立した部室棟や武道場に合宿棟。広い敷地のそこここに立てられた案内表示に都度驚きながら、彼らは今日の練習試合が行われる大学側の体育会館を探し歩いた。
「いいか、桜木。ひとりひとりのプレイをよく見るんだぞ。ルールでも用語でも、分からないことがあったらすぐに聞くんだ」
 上階の観覧席――立ち見ではなく、座って見学するための客席が設置されている――に向かう階段を上ると、既に何組かの見学者らの姿があった。在校生や大学の生徒だけでなく、他校のバスケット部らしい生徒の姿や、記者と思しき姿も見える。彼らはカメラを用意している大人を横目に、海南のベンチが見えやすい位置に場所を取った。
「わーってるよ、うっせーなぁ」赤木の小言に、花道は手すりに肘をついて分かりやすく拗ねる。「ゴリはいっつもあたしばっか怒る」
「まだ怒ってない! お前が初心者だから言ってるんだ」
 大体お前はいつも怒られるようなことばかりするから云々と続きそうになる赤木の言葉を、まあまあ、と木暮が宥める。赤木も存外短気なところがあるから、放っておくと本当に怒り出しかねない。
「桜木、ルールが分からなきゃ選手としてプレイできないだろう? お前の伸びしろに赤木も期待してるんだよ」
「メガネ君」ぱっと電灯が点くような破顔の後、「ったく、素直にそう言えばいいのにゴリめ……」
 と生意気なことを言うものだから、一年も二年も皆呆れ顔だ。監督である安西だけが、特に注意するでもなく、いつもの調子でにこにこと笑っている。と、
「おめーには説明するより見せた方がはやい」
 これまたいつものように流川が横から口を挟んで、結局木暮の努力は水泡に帰した。
「ンだとバカって言いてーのかルカワ‼」
「わー止めろふたりとも‼」
「やめんかお前ら‼」
「ほら怒った‼」
「怒らせるな‼」
 流川にかじりついて怒る花道の頭の上に赤木の雷が落ち、他の部員も飛び上がる。
「キャプテン、外ですから、……」
 木暮と安田が宥めにかかるのを潮崎と角田が横から援護し、一年三人が花道と流川を引き離す。このひと月ほどで固まりつつあるフォーメーションだ。花道と流川のコンビは湘北バスケ部のチームワークを育むのに一役買っているのかもしれない――が、観客席で騒ぐ彼らの姿はとにかく目立った。
「あっ、ほら、皆見てますよ! 落ち着きましょう!」
 ギャラリーにいる他の観客たちだけでなく、アリーナでウォーミングアップをしていた二校の選手たちもが湘北の様子を何事か、と見上げている。すると、花道はその一団の中に見知った顔を見つけて、あっ、と驚きの声を上げた。
「~~~~っ‼」
 焦りのあまりにしゃがみこむと、勢いが過ぎて髪が逆立ち炎のようになる。長いスカートがふくらはぎまでまくれ上がった。突然流川の足元で丸くなって顔を隠した花道に、彩子が声を掛ける。
「ん? どうしたの桜木花道」
「オッ、あ、……アヤコさん!」
 呼びかけに勢いよく首を上向けた花道は涙目で、その上変な汗までかいている。明らかにただ事ではない様子だ。
「何? お腹でも痛いの?」
「あ、あの、あのね、……」
 膝をついて花道を心配する彩子の耳に顔を寄せて、花道は小さな声で耳打ちした。こいつ、小声で話せるのか、と、皆も彼女の声に耳を澄ませる。
「オ、オダ君、……中学んとき好きだった子が来てる」
「えっ、そうなの?」
「えっ、どの子?」
「同級生?」
 と彩子の言葉に言葉を乗せるのは石井と佐々岡だ。そこへ更に木暮が自然な様子で加わってくる。
「お、あの子じゃないか?」
 と彼はコートにいる一団の中からひとりの生徒を指さした。全く根拠のない只の勘だが、彼の分析はなかなかに鋭い。指の先にいるのは白い部活Tシャツ姿に色素の薄い明るい髪と爽やかな顔立ちの少年。――所謂王子様タイプの少年を花道のタイプと判断した木暮の分析は実に見事で、ちょうど答え合わせをするように、深緑のユニフォームを着た生徒のひとりが彼をオダと呼んだ。
「へえ、桜木、ああいうのがタイプなのかぁ」
「あいつに似てるな、翔陽の……」
「確かに」
「ジャニーズ系だな」
 順番に、安田、木暮、赤木、角田だ。他のメンバーも皆の話に相槌を打っている。花道は顔を真っ赤にして怒った。
「何でお前ら聞いてんだよ⁈」
 が、目立たないようしゃがみこんで小さくなった身体と声でいくら怒っても、もう彼らには通用しない。
「確かにいい感じだけど……」と桑田が鼻息荒く言う。
「でも、流川君の方が格好いいよ!」
 続きを引き取った石井が、唯一この場に参加していなかった流川を話に引きずり込む。佐々岡もうんうんと頷くが、言われた当の本人は、微塵も興味ないという顔で突っ立っているのみだ。花道は彼の足元をじりじりと離れた。眼差し以外から読み取れる情報が極端に少ない彼は、下から見ると不気味だ。
「何を張り合ってるんだ?」と赤木が花道の代わりに言い、そして続ける。「で、お前は何で俺の後ろに隠れるんだ?」
 前者の疑問に答えはないが、後者のそれには涙交じりの呻き声が返る。花道は赤木の肘の辺りをぎゅっと掴んで、彼の制服に皺を作った。
「う、うぅ~~~ッ、聞くんじゃねぇ、そういうデリケートなこと、」
「振られたんか」
 疑問形の語尾で断定するのはやはり流川だ。彼の言葉に花道は、うるせー悪いか! と、べそをかきながら小声で叫び、それからちょっと口ごもった。
「振られたってゆーか……、」
 実際はもっと悪い。
「……忠たちと賭けでもしてるんだろ、って言われた」
 言葉にする内に段々と気分が沈んで、花道は赤木の学ランの背に額をつけ傷付いた顔を隠す。周りの皆も、その声の沈鬱さに束の間言葉を失った。それから――、
「何それひっどい‼」
「信じられない‼」
 一斉に怒り出した湘北メンバーの勢いに、花道は思わず肩をびくりとさせる。角田が口角泡を飛ばす激しさで言う。
「そんなヤツこっちから願い下げだ‼」
「そうだそうだ!」安田が同調し、佐々岡も頷く。
「桜木さんはそんなことしないよ!」
「暴力は振るうけど!」
「最近は手加減も覚えてきたし!」
 石井と桑田の最後の言葉はあまりフォローにならなかったが、彼らが自分事のように怒りを露わにするのはくすぐったい。花道は赤木の背中の後ろから顔を覗かせて、
「不良が嫌いだったのかもしれん」
 と言葉を添えた。彩子がうーんと首を傾げる。
「不良……ねえ。そりゃ確かにあんたの格好はどっからどう見ても不良だけど……」
 花道の全身を上から下まで眺める彩子は、言いながら何か思いついたのか、腕時計で時間を確認してから花道の腕を掴み、その前にいる主将に声を掛けた。
「すみません、試合開始までには戻るんで、桜木花道借りてもいいですか?」
 赤木は腕を組んで唇を引き結び、彩子の言葉を黙認した。
「さ、ちょっといらっしゃい」
 荷物を手にした彩子に腕をひかれ、女子部員ふたりはその場を後にした。
「もうすっかり保護者だなあ、赤木」
「んな訳あるか」
 後姿を見送って、木暮は同級生の脇腹を肘で突く。手の掛かる子ほど可愛い、と続けると、赤木は心底勘弁してくれという顔で、やめんか、と言った。下級生は誰も口出しできず俯くばかりだ。木暮が続けた。
「で、あいつら何しに行ったんだ?」