Fly girl, in the sky 第九話 - 1/2

ロバーツみたいに

 ベッドの上に広げた色とりどりの洋服を前にあたしたちが頭を突き合わせてうんうん唸っていると、一階のインターホンが来客を告げた。ヘッドボードの時計を見ると、集合時間の五分前。集まったのは三〇分以上前だから、お互い随分と夢中になっていたみたい。
「はぁい」
 晴子ちゃんが返事をして部屋を出ていく。その間に残念ながら不採用になった洋服たちを持参した紙袋に戻しておく。あたしって結構服持ってたのね、と改めて思う量。ってあら、あの子ったらお菓子持参で来たの? 気の利いたことするのねえ。
 階下から聞こえる声に耳を傾け、ふたりが上がってくるのを待つ。よく通る声だから何を話しているのか筒抜けだ。早朝からシュート練習なんて感心ね。その公園の近くなら、お菓子はきっと『パラレル』のものだろう。昔からある町の洋菓子屋さんで、まあるいマドレーヌとスワンがとってもおいしい、隠れた名店。
 ふたりが階段を上がってくる音が聞こえる。ドアが開くタイミングを待って、服の山からあの子に一等似合いそうなものを手に取った。
「待ってたわよ、桜木花道」

 底の剥がれた体育館履きをボンドで補修している桜木花道を見て、バスケットシューズを買おうと提案したのが晴子ちゃんで、なら一緒に遊ばない? と話を大きくしたのがあたし。そこからふたり、折角だから目一杯おしゃれして出掛けましょう、と話を更に膨らまして、あたしたちは休日に晴子ちゃんちに集まって桜木花道の服装をコーディネートしている。
 背が高くてスタイルのいい彼女は何を着てもよく似合う。白い無地のTシャツとノーブランドのジーンズ、なんて格好で現れたときも、それがあまりに自然体なものだから、アメリカのティーン向けのドラマを見ているようだった。本人はもっと可愛らしい格好が好きみたいだけど、サイズがなくて難しいのだと悲しそうにしている。それこそアメリカなら着たい服に出会えるかもしれない。
 あたしたちが用意していた服も、可愛い系のものはあまりない。それはあの子のサイズというより持ち主ふたりの好みのせい。あたしも晴子ちゃんも、どちらかといえばスポーティーでカジュアルな服の方が手持ちが多い。
 事前にありったけの服を持参するように、と伝えておいたけど、桜木花道の持ってきた服はどれもシンプル過ぎて使い物にならず、結局――というか、当初の予定通りあたしと晴子ちゃんの洋服を組み合わせてコーディネートすることにした。あの子には悪いけど、レースやリボンは別の機会に。今日はデニムやレザーで我慢してもらう。
 ビタミンカラーのミニTシャツとショートパンツは元気がいいけど主張が強い。セーラーシャツとスラックスはこどもっぽい。タートルネックとチェックのプリーツは可愛いけれど自分を客体化し過ぎ、――とモデル並みの衣装替えで目を回している桜木花道を前に、あたしと晴子ちゃんはああでもないこうでもないと試行錯誤を目一杯楽しんでいる。最初は『裾が短くないですか⁈』とびっくりしていた彼女も、途中から慣れたのか何も言わなくなった。背が高すぎてミニスカートになってしまう黒のタイトスカートを脱ごうと、彼女が次のセットを手に取る。お次はあたしの大本命のタンクトップとミニスカートだ。
「桜木さん、すっごくステキ‼」
「やっぱり! 絶対似合うと思った‼」
 彩子さん大本命のセットに着替えた桜木さんを見て、あたしたちふたりは思わず声を上げた。シンプルな白のタンクトップは彩子さんの持ち寄りで、スカートはあたしのもの。お店で気に入って買ったはいいけど、着こなしに自信がなくてクローゼットにしまっていた服は、まるで桜木さんに着られるのを待っていたみたいにとてもよく似合った。あたしだと膝上くらいの長さなんだけど、桜木さんが穿くと腿の真ん中。大きいって羨ましいなぁと思うのは、何もバスケットのことだけじゃない。
 桜木さんは褒められて恥ずかしいのか、毛先をくるくるといじって俯いている。格好は誰にも媚びない芯のある女性! って感じだけど、そういう仕草をするとどこかあどけなくてアンバランス。多分彩子さんはそれも計算して大本命って言ったんだろうなあ。スゴイけど、ちょっとだけジェラシーを感じる。
「で、でも、これはさすがに寒くないですかね?」
 襟ぐりの開いたタンクトップの肩をつまんで桜木さんが言う。確かに、いくらあたたかいとはいえ今はまだ四月だ。
「不本意だけど、確かに上着はあった方がいいわね」
「ふ、不本意……」
 たじろぐ桜木さんの要望を聞き入れて、あたしたちは羽織るものはないかとベッドの上を探る。だけど、さすがに桜木さんの身体に見合うサイズのアウターはなかなか見つからない。どうしようかしら、と三人で頭を抱えていたところに、あたしはとある妙案を思い付いた。
「オーバーサイズだわ‼」
「ハ、ハルコさん……?」
「彩子さん! あたし正解が分かりました‼」
 目を点にしているふたりを置いて、あたしは部屋を飛び出した。運動神経がないから実際は慌てて部屋を出た、くらいだけど、とにかく部屋を飛び出したあたしは一目散に隣の部屋に向かった。ノックの後の返事も待たずドアを開けて、机に向かって参考書を開いていたお兄ちゃんに言う。
「――お兄ちゃん! 赤いシャツ持ってたわよね⁈」
 晴子ちゃんが持ってきた赤木先輩のシャツは赤地にチェック柄で、広げるとさすがの大きさだったけど、桜木花道に着せてみると不思議なくらいしっくりと似合った。タイトなインナーに対して身体のラインを拾い過ぎないビッグシルエットは彼女も気に入ったようで、鏡に全身を映して袖を捲ったり裾を結んだりしている。
「あの人みたい、ほら、去年ヒットした映画の……、」
 と晴子ちゃんが言う。ちょうどあたしも同じことを考えていたところだったから驚いた。
「あの、レストランでエスカルゴを飛ばしちゃう、ええと」
「そこなんだ。……ジュリア・ロバーツ?」
「そう、彼女! ……桜木さん、ジュリア・ロバーツみたいだよ!」
「ジュ……?」
「ジュリア・ロバーツ。今一番勢いのある女優よ」
「女優!」
「そ。その人の衣装にちょっと似てんの」
「女優……」
「そうだ、帽子あったかなあ」
 と、晴子ちゃんがおもむろにクローゼットの中を探し始める。カラフルな箱と一緒にバッシュやボールがしまってあるのが彼女らしい。あたしの家も似たようなものだけど。彼女は二、三の箱を開いて確かめ、そのうちのひとつを持ってきた。光沢のある黒くて丸い箱を開くと、同じく黒のベレー帽が形よく収まっている。映画の中で主人公が被っていたのはキャスケットだったけど、イメージは重なる。
「あら、いいじゃない。桜木花道、被ってごらんなさいよ」
「ふっふっふ、お任せください、アヤコさん。このロバーツ・桜木が完璧に被りこなしてみせましょう」
「何それ」
「やだ、桜木さんったら」
 完全に調子に乗った桜木花道をカーペットの上に座らせる。服が決まったら今度は髪型と化粧だ。こないだは口紅だけだったけど、今日はフルメイクできるので腕が鳴る。
 普段化粧っけがないからその分ゆで卵みたいにつるつるの肌は、ほんのりと日に焼けていて、皮膚が薄いのかちょっと赤らんで見えるのが赤ちゃんみたいだ。これも彼女のチャームポイントね、と、この肌感をベースにメイクを組み立ててゆく。化粧水と乳液でしっかりと肌を整えたら、眉を整え睫毛を持ち上げ下地を塗る。ファンデーションは軽く撫でる程度、チークの色もごく薄く。顔立ちがはっきりしているから、あまり色を使い過ぎない方がいいだろう。何よりこの珍しい髪の色を活かしたいから、アイラインもシャドウもブラウンベースで控えめにする。
 あたしが彼女の顔をパレットにしている間に、晴子ちゃんはウェーブのかかった髪の毛をブラシで整えてゆく。映画の彼女に分け目を合わせ、前髪はサイドに流す。帽子があるから結んだり飾ったりせず、ごくシンプルに……とはいっても、たっぷりとした豊かな髪はどうしたってゴージャスになっちゃうんだけど。
 最後の仕上げに口紅を塗って、帽子の角度を調整する。誰もが恐れる天下のスケバンは、皆が振り返る大迫力の美女に大変身した。我ながら、いや、我々ながらあまりの出来栄えに大満足だ。今にも映画の主題歌が聞こえてきそう。特徴的なドラムとギターはロイ・オービソンの歌う〝Oh, Pretty Woman〟。音楽のリズムに合わせるみたいにあたしたちは揃って頷き、最高じゃない? あたしたち! と思わず互いを褒め合った。
 靴ばっかりは誰のものも代わりにならないから、桜木花道の手持ちの中で一番バランスのいいローファーを選ぶ。本当はロングブーツやハイヒールがいいんだけど、とあたしが言うと、晴子ちゃんが、まずはバッシュですよね、と答えた。そうだわ、今日はバッシュを買いに行くんだった。

 はやめのランチを済ませてから入った駅近くのスポーツショップは大当たりだった。雑居ビルの二階に入った決して大きくない個人店だけれど、店長がバスケ贔屓なのかバスケット用品、特にシューズの種類が豊富で、会計の棚の上には非売品のコレクションまで展示してある。エアジョーダンが初代からきれいに並んでるのを見て、あたしと彩子さんは思わず顔を見合わせ、いい店見つけちゃったわね、と頷き合った。彩子さんはそのまま自分の買い物へ。どうやら新しいシャツと、ボール磨き用のワックスとクロスが欲しいらしい。彩子さんって、自分でもバスケットするのかしら?
「いっぱいあるんですねえ」
 と目をぱちぱちさせている桜木さんと一緒に、あたしは棚の上から下までを眺める。最近のバッシュって随分形が複雑なのねえ。
 あたしが初めて買ったバッシュはアシックスだった。あの特徴的なメキシコラインが格好良くてお年玉を使って買ったのだ。小さくなって履けなくなった今でも、大切に取ってある。あのライン、風が流れるみたいでステキよね。少しでも足が速くなりますように、って、靴に向かって願掛けしたのを憶えてる。
「かっこいいのがいっぱいあるねー」
 桜木さんの足のサイズは二七・五センチだそうだから、レディースではなくメンズの棚を探す。どのスポーツもそうかもしれないけど、やっぱり男性用の方が種類が多いから見ていて楽しい。ナイキなんて上から下まで全部ナイキ。店長の趣味なのかな?
「バッシュ? サイズ出すから言ってくださいね」
 すると、正にその店長がしゃがみこんで靴を見ている桜木さんに声を掛けた。ニコニコと愛想のいい、尋ねやすいタイプの男性だ。お父さんより少し若いくらいかしら。声を掛けられた桜木さんが立ち上がると、店長はちょっとびっくりして、やっぱり大きいですね、と言った。
「最初、モデルさんが来たのかと思った」
「そっすか」
 桜木さんは、どう反応していいのか少し困っているみたいだった。店長はあまり気にしていない様子で話し続ける。どうやらバスケットの話がしたいみたいだ。
「選手なんですか?」
「まあ」
「へえ、大学とか? それとも趣味で?」
「部活です。彼女、湘北高校のバスケット部なんですよ」
「え、高校生なの? 大人っぽいねえ」
 あたしの言葉に、店長だけじゃなく周りのお客さんもちょっと驚いているみたいだった。この春高校に入学したばかりだと知ったらもっとびっくりするかもしれない。
「あれ? でも湘北って女子バスケ部あったっけ……?」
「あ、これイカすな」
「ほんとだ、カッコいい。すみません、試着してもいいですか?」
「ああ、どうぞどうぞ」
 何やら考え事をしている店長に声を掛けて、桜木さんの手にしたバッシュのサイズを探す。
「あ、サイズ出すよ」
「そしたら、二七・五センチをお願いします」
「わあ、ボクと変わらないじゃない。大きいねえ」
 世間話がそのまま接客に移る。バスケ贔屓の店長なら、桜木さん向きの一足をおススメしてくれるかもしれない。最初の一足だもの。とびきり気に入ったものがいいよね。あたしも気合を入れて桜木さんのための一足を探す。
「ねえ、桜木さん、これなんかもいいんじゃない?」