Fly girl, in the sky 第十一話 - 3/4

「女子部員だあっ⁉」
 体育館の高い天井に宮城の声が打ち上がるように響く。その驚きように花道はムッとして、
「ンだよ、何か文句あんのかよ?」
 と答えた。先ほどの惨事の原因として既に好感度が地に擦れる程低い男が自分と同じ部の先輩であったと分かり、彼女の機嫌は極めて悪い。鋭い目で睨めつけられた宮城は僅かに後ずさりして、
「いや、悪かねーけど、」
 と答えた。それから、
「確かにすげー身体してるし」
 と続け、花道の全身をくまなく眺めた。無論、視線に色めいたものはなく、あくまでスポーツマンとしての検分の意味しか持っていなかったが、花道は体操着にジャージのズボン姿の自分の身体を両手で隠すように抱いて、
「やらしー目で見んな」
 と言った。宮城も反射的に返す。
「見てねーよ」
 他の部員たちがどこかぎこちない視線を彼らに向ける中、安田は優しい目を更に細めて、
「まあ、今どき『女子』って冠がつかなきゃ全部が男用、なんて時代じゃないからね、」
 と言った。彩子がうんうんと頷きながら近付く。流川も彩子の後ろについて、穏やかな熊のような動作でのそのそと花道の方に近寄ってきた。宮城と花道は頬やら額やらに絆創膏を貼っているが、彼の血の気の薄い顔は傷ひとつなくきれいなままだ。
「そうは言ってもなあ……」
 尚も唇をもごもごさせる宮城に、彩子は花道の腕を両手で胸に抱え込み念を押す。
「あんたが認めなくても、この子はもう大事なバスケット部の部員ですからね」
「認めないもんか♡」
 電光石火の速さで手のひらを返し相好を崩す宮城に、角田と潮崎も近寄って声を掛ける。
「なあ、宮城。それよりもう身体はいいのか?」
 戸惑いがちな彼らの様子に宮城は光の熱で溶けていた顔を引き締める。彼らが心配しているのは何も宮城の身体のことだけじゃない。それを彼自身もよく分かっているのだ。
「おう。迷惑かけて悪かった。それと、遅くなってごめん」
 そう言って素直に頭を下げた宮城に、ふたりは頷くでも跳ね除けるでもない複雑な息を返す。と、彼の隣にいた安田が明るく清涼な声で、
「ねえ、ワンオンワンやろうよ。リョータの身体が鈍ってないか、確認しなくちゃ」
 と言い、彼の手にボールを手渡した。受け取った宮城はボールの感触を手のひらで確かめるように撫でる。安田の提案に、宮城よりはやく彩子が答えた。
「あら、いいじゃない。ただし先輩たちが来るまでね」
「アヤちゃん……あいてっ!」
 彼女は宮城の背中を力強く叩き、それから遠巻きにこちらを見ている一年生たちに向かって、
「あんたたち、よく見ときなさい」
 と彼の代わりに胸を張った。
 ――キュッ! という、シューズが体育館の床を踏みしめる音がコートの空気を切り分けた。瞬間、ボールが地面を打ち鳴らす音がひとつ立ち、宮城の身体が風を巻き起こす。直後、ネットが揺れる乾いた音が静まり返った体育館に響いた。数秒の対峙の間に一年生たちが認識できたのは、ポイントガード・宮城リョータの身のこなしではなく、彼の立てる風と音だった。
「は、はやい……っ‼」
 桑田の声が呼び水となって、一年生たちが興奮も露わに騒ぎ出す。
「うちのスターティングガードの安田さんが反応もできないほどの速さとは……‼」
「スゲエ……‼」
「上背はないが、あのスピードは湘北一じゃないか……⁉」
 彼らの驚嘆の声に、たった今打ち負かされたばかりの安田の喜びにあふれた声が重なる。
「まいったな、全然衰えてないな、リョータ‼ 今日こそは止めてやろうと思ったのに!」
「ふっふっふ、一〇年はえーよ、ヤス!」
 バチンと手を叩き笑い合うふたりを、彩子も喜びに満ちた眼差しで見つめる。
「やっぱり、次期キャプテンはリョータかな」
 誰に言うでもない、思わず漏れてしまったという心の声は眼差しと同じように優しい。隣で聞いていた花道は彩子の声に目を瞠り束の間黙ってから、次期キャプテン? と聞いた。彩子は僅かに頬を染めて、
「かっこつけ男に格好つけさせてやるならね」
 と照れ隠しのように言った。照れながらも素直に宮城を認める彩子の言葉に、花道は彼の実力の程を見る。
「次期キャプテン、ね……」
 傍で壁にもたれて腕を組んでいた流川の前をわざと通り、花道はコートの中のふたりに近付く。
「のけ、ヤス」
 安田を押し退け面前に陰をつくった花道を宮城は見上げる。細い眉の端がぎゅっと吊り上がる。
「なんだ」
 花道は宮城の手の中にあるボールを鷲掴みにして言った。
「やい、くるくるブロッコリー」
「おい、そりゃ俺のことか」
「次期キャプテンの座は渡さんぞ」
「ンだよそれ? 何だ、勝負すんのか?」
 突如始まった第二ラウンド。剣呑な雰囲気に二年生たちの胸に嫌な予感がよぎる。が、彼らは止めることをせず見守る方を選んだ。宮城がバスケットをする姿は、見ている者に、もっと彼のプレイするところを見たい、と思わせる力がある。――それが何故かを語れる者は、残念ながら少年たちの中にはいない。流川も見やすい位置に移動し二年生たちの後方に立った。
 ――が。
 勝負は一瞬で終わった。力強い口上を述べる花道の隙だらけの手元から、宮城がいとも容易くボールを奪った。
「イージーだな」
 奪ったボールを左手に乗せて宮城が言う。まるでその手に初めからボールがあったみたいな様子に、一年生たちは度肝を抜かれる。花道は顔を真っ赤にして怒り出した。
「コ、コラちょっと待てい! フイ打ちとはヒキョーな‼ ヒキョー者! ズル‼」
 騒ぎ立てる彼女にさすがの宮城も呆れ顔だ。
「何だお前、ガキかよ。……じゃあお前、ディフェンスやれよ。止めてみな」
「上等だ‼ この天才の神技的ディフェンスをひろうしてやる‼ 来い‼」
 攻守入れ替わって第三ラウンド。今度は花道が宮城の手元のボールを狙う。
「フン」
「いてっ」
 対峙して構えた途端の鞭のしなるような花道の一撃は、ボールではなく宮城の手の甲をしたたかに打つ。
「とーりっ!」
「……おめー、どっちがヒキョー者だ。完全なるファウルじゃねーか!」
 地を蹴った宮城が緩慢なドリブルの手元を狙いボールを奪い返す。上階で見学している晴子に向かってピースなどしているから、彼女はまたしても簡単にボールを取られてしまう。
「どうした、反則ヤロー。身長だけでバスケができると思ったら大間違いだぜ?」
「おっ……もしれーじゃねーか、くるくるめ! ボール返しやがれっ‼」
「渡すかよっ!」
 再びボールに飛びつく彼女をドリブルのままひらりと躱す。宮城の知らぬところだが、バスケットを始めてからようやく一カ月という花道の動きはやはり未だスポーツの動きからは遠く粗削りで、動作も大きければ駆け引きもない。が、彼はその見上げる程に大きな身体の爪の先までが、とてつもない原石であると見抜き、
「違ーうっ‼」
 と思わず声を上げた。
「そんな散漫で相手のボールが取れっかよっ! もっと相手をよく見ろ! 考えを読めっ‼」
「ふぬーっ! 命令すんな‼」
「だったら俺から奪ってみせろ!」
 喧嘩騒ぎのワンオンワンが、次第に花道へのディフェンス指導になってゆく。その様子は他の二年生たちを大いに驚かせた。一年生たちもふたりの対決を観戦ではなく勉強の目で見つめている。
「姿勢が悪い‼」
「ふぬっ!」
「叩くなっ!」
「うっせー、ゴリみてーなこと言いやがって‼ よこせっ」
「はあ? ゴリって誰だよ⁈」
「キサマ、ゴリも知らんのか! くっそ~、ボールさえ取れればバスケ部主将のゴリをも打ち負かしたスラムダンクをひろうできるのに……‼」
「バスケ部主将ってまさか、ダンナのことか⁉ おめー殴られても知らねーぞ、って、そら重心が高い!」
「ふぬーっ! ガミガミうるせー! このミニゴリめっ‼」
「なっ……俺はゴリじゃねーーっ‼」
「――俺もゴリじゃねーぞ、宮城」
 指導と口喧嘩を行ったり来たりで白熱していたコートの中に、主将・赤木が現れる。彼は向かい合い腰を落としていたふたりの襟首を猫の子のように捕まえて引っ張り上げると、地響きのような声で、
「バカタレ」
 と言い、ふたりの頭にげんこつを落とした。
「……さあ、練習だ」
 いつも通りの部活動が始まった。